頬寄せあって名前を呼ぶよ

犬や猫、鳥やハムスターとか何かしら動物を飼った事がある人って今は結構いるのかなと思う。それくらい動物が身近な存在になるようになったね。

 

私はもちろん、私の周りにも主に犬猫を飼ってる人が多い。

私が生まれてから今まで動物が家にいなかったことが無かった。だから、いない生活って思いつかないし服に毛がついていない時はない。いなかったらいなかったでいない幸せがあると思うし、いる幸せも、もちろんある。

生きてきて今まで数匹の犬と猫が別れを告げてその度に悲しみに打ちひしがれてどうしようもない気持ちになる。私よりも何倍も小さくて温かくて大好きな存在が突然いなくなるのは、どんなに身構えていても その時が訪れる度に心が薄くなる。

 

犬猫があまり長生きしたことがなかった。犬猫からしたら平均ぐらいは生きてるんだろうけど"老い"というのを犬猫から感じるのは私からしたら難しい。だって本当に今まで家にいた猫たちは目もあかないぐらい子猫の頃から家にいて、いるのが当たり前になって老いに気づけない。犬たちだって同じように日々を一緒に過ごした。

 

とあるものすごくシニアで大病をしても奇跡的に助かった犬ちゃんを飼っていた人のツイートで「シニアのわんこは本当にかわいい。これは神さまからの最後のギフト」っていうツイートを見て響いた。犬も猫も毛がだんだん白くなってやわやわになって走ったり怒ったりがあんまり無くなって穏やかになって、子犬や子猫の時だって本当に本当に本当にすっっっっっっっっごくかわい。もう目に入れても痛くないとはこの事ってぐらい可愛くて、でもその時期って光の速さで終わる。タバコの箱ぐらいの大きさが、抱えなきゃ持てないぐらい育つ。突然。そしてシニアになっているのか。と冷静に見返したらものすごくかわいい。いつからこんなに素敵になったの?というぐらい。本当に最後のギフトだ。ここから老いに気づくまで、老いに気づいたらタイムリミットが迫ってる。当たり前に老いていく子もいれば、そうなる前にいなくなっちゃう子もいて長命種の人間が異種に望むことは常に延命しかないなといつも思う。まだまだ一緒にいたいね。

 

私の1番かわいい猫にも老いと別れが近づき始めた。あまりにも水をよく飲んだりしていて、血液検査にいったら病気発覚。そこから緩やかに降下している。

この子も子猫の頃から家にいる。というのも実家、託児所かここは。勘弁しろし。というぐらい未熟児を置いていく野良猫がいて一時期、家も近所にも置いていかれた子猫がいて家に集まった。

ずっと一緒にいて、この子はいつからか私に甘えていた。全然思い出せない。名前を呼ぶと返事して私の元に来てくれたが今はその余裕もないみたいだ。いつからこんなに素敵になっちゃったんだろ。

 

 

ついに別れを迎えちゃった。病気発覚から1週間共に過ごした。約12年間1番彼女のことを考えた日々だった。ご飯をよく食べて水を飲んでそれでもおしっこが薄い色しているから、定期的な血液検査も含めて病院へ行ったら腎臓の数値が爆上がりしてた。元々低くはなかったけど突然の上がり方に救急処置として皮下点滴をした。彼女のおしりから足までタプタプになって帰ってきた。吸収しておしっこを出せば大丈夫みたいな話だったけど、利尿剤も入ってるはずが、水は飲まないし出さなかった。丸1日ぐらい経っておしっこをしたが透明だった。元気もなくてふにゃふにゃになってた。そこからまた病院に行ったら尿結石発見3つぐらい腎臓と膀胱を結ぶ管にあってそれが邪魔しているから、石が尿が出るぐらい動けばいい兆しと言って、また皮下点滴、そこからずっと苦しそうに鳴いていた。病院には行けなかった。過去に怪我で病院に行ったまま帰らなかった猫がいた。その傷もあって帰ってくるか怖くて仕方なかった。

 

彼女が何を思っていたのか、おしっこが出なくて辛いのか、毒素が回って辛いのか、尿結石が痛いのか全然わからなくて良くなるのかも今後もどうなるかもわからなくて辛かった。どうして言葉が通じないのだろうと悲しくて仕方なかった。動物に対する治療は全て人間のエゴだと思う。彼女がもう辛いから何もしたくないと思っていたかもしれないけど、治療を施した。少しでも長くいてほしくて。仕事から帰ってずっとそばにいてソファーで寝る生活が続いた。彼女が悪くなる前に親がアナフィラキシーショックで入院していて(何ともなかった)(嫌がるため救急車が呼べず、緊急外来が混んでいて近い病院も空いてなかったから車で片道30分の病院まで行った。シンプルに救急車呼べと怒られた)まともに寝ていなかったからこの生活がさらに辛かった。夜中に鳴いている声を聞くのも、何を伝えたいのかわからなくてしんどかった。鳴く度にそうだね、そうだねと返事をしていた。ずっと一緒にいたいのに、一緒にいればいるほど彼女は苦しむし、苦しみから解放してほしいと思えばそれは別れの意味になる。

1週間看護が続いて、3日目か4日目かに(歪な生活で日付感覚がバグりまくっている。寝れないので記憶が無い)彼女が私が寝ているソファーに来たことがあった。ノロノロと来て顔を覗かせていた。布団をあげれば脇で眠りについて、嬉しさと悲しさでいっぱいだった。最期かもしれない。今まで一緒にこうやって布団に包まれて眠ったことはあったけど、ついにこれが最期かもしれないと思った。最初から私に甘える猫ではなかった。もしかしたら甘えたかったのかもしれないけど、他の猫が甘えていて遠慮していたのかもしれないなと思った。名前を呼べば返事をして、遠くにいたり視界に入らない時は私の所に向かってきた。もうきっと返事も迎えもないと思っていた。何もしてあげられない自分が悔しくて仕方なかった。11月に職場で色々あって鬱っぽくなって塞ぎこんでた時、意味もなく泣いていればそばにいてくれたことを思い出した。何を思ってそうしてくれたかは分からないけど、今私ができる事は彼女がしてくれたようにそばにいることだけだった。ソファー生活の間、姉も一緒に床生活をしていた。元の生活では姉の方が一緒に寝ていたので姉の方が寝る確率は高いはずなのにその後、またも這いつくばって私の足元で寝ていた。天秤に姉と私を掛けたら私の方に若干傾くのは、元の生活の時からで愛おしさで苦しかった。

彼女の好きなところは、名前。命名は親だが彼女の毛の柄の別名から取った。私の名前と漢字が似ていて、逢うの漢字が使われているのに一昨日気づいた。それから毛。ベージュと焦げ茶、柔らかくて短いサラサラとした毛。陽に当たっても寝起きもいつもいい匂いだった。髭も長くてかわいい。緑色の瞳をしていた。性格はツンデレと言われていたけど、私にはデレしかなかった。風呂上がりの人間が大好きで風呂から上がれば抱っこをせがむ。前足2本を私の足にかけて「抱っこしてくれ~」とせがんでいた。服を着る間「早くしろ」と急かすように鳴いていた。だからおしゃべりな所も好き。私にだけおしゃべりだった。目が合えば何かを話していたし、話かければ返事した。

 

彼女との特有の挨拶があった。私にだけする訳じゃなかったが、彼女だけその挨拶をみんなにしていた。頬を寄せるような仕草で、顔を突き出すと自分の頬を擦り付けてくる左右どちらにもするので海外の挨拶みたいだなと思っていた。

 

夜泣きが過去1番酷くなり、朝には浅い呼吸をしていた。今日かと感じた。今日かもしれない。たくさん撫でて、もうきっと呼べなくなる名前をたくさんできるだけ呼んで彼女は旅立った。苦しそうだったが、やっと開放されたかと思えば安心したが何が安心なのかはわからない。最後に抱きしめた。流動食をあげる時今回が最期かもしれないと思っていたが、最後は最期だった。柔らかい身体も硬くなるまで共にした。もう入れ物だった。どの犬も猫もそうなる度、急に知らない犬や猫に見える。こんなに犬っぽかった?こんなに猫だったっけ?限りなく意思疎通のある人間に近い存在だと長い年月で思い込んでいるようで犬や猫の本来の姿を見て驚く。彼女も猫だったんだな。

今日彼女の形も無くなる。思い出の中だけで生きてる。今までの犬や猫もそうだけど、彼女が特別すぎる。1週間彼女はいつも寝ていた姉の部屋で眠れなかった。形だけになった彼女と姉と私で姉の部屋で寝た。どの犬も猫も形だけになったら目を向けられなかった。でも彼女は形になっても撫で続けて一緒に眠った。

 

思い出せなくなるのが怖くて仕方がない。あれだけ話したのに鳴き方も、嗅いだ匂いも、呼んだ名前も、寄せ合った頬もいつか忘れる。思い出せなくなる。急ぐように周りから彼女の写真や動画をもらったが、写真や動画じゃ姿以外は思い出せなくなる。それがこわくて今文字にしているのに、彼女がよくいた場所も思い出せなくなっている1週間ほぼ動かなかったから。南の廊下で陽に当たるのが好きで、日が出てない日は洗濯機の上、リビングの専用のベット、お腹が空いた時はIH側のキッチン台、眠れない日夜は私の部屋に来た。キャットフードをよく食べて鰹節が好きだった。ちゅーるは気が向いた時にしか食べなかったし、スキンケアをした肌を舐めたがった。不機嫌がすぐ顔に出たし、怒った顔は般若に似ていた。

 

もう私自身から動物を飼いたいと思うことはないと思う。わかんない変わるかもしれないけど。家族にまた犬や猫を飼いたいと思う?って聞いて回った。意味は無いけど、動物を何回でも迎えるマインドがよくわからなかったから。(犬はペットショップで購入しているものの、猫は上記より育児放棄や親族が発見したものの飼育不可により縁があって来た。縁が度重なって一時期、犬3匹猫が6匹という多頭飼育になったが現状減る一方である)みんな口を揃えてまた縁があれば迎えたいだった。そっか〜って感じ。きっとこの先、彼女を越える存在に出会えないのじゃないかと思う。彼女もだが、私が人生で初めて迎えた猫の彼も生存しているがきっと彼を越える者には出会えない。越える、越えないの指針になっているが、彼女はこうだったのになとか彼女が心にいるのに迎えた家族に真に向き合えない事に恐れている。元カレを忘れられない女みたい。

 

彼女の全てがパーフェクトだった訳では無い。粗相はしたし、脱走したし、全然思い出せないけど。もう許してる。居なくなったら無になる。犬たちだって噛まれたし粗相はしたし物を壊したりしたけどチャラだ。みんな最期は許しを得て旅立つ。それさえも愛おしく感じる。

 

死ぬかもしれないと考えた時、こんなにも彼女を救ってほしくて代わりになるなら代わると思った。赤の他人が死んで、ニュースでどこかの誰かが死んでもへっちゃらなのに彼女がそうなると思った時、悲しくて仕方ないのは愛があるかどうかだよなと思った。そこに愛はあるんか。

 

姉と彼女の事について話す機会は減っていった。姉と私には好きな言葉というか、前向きになる言葉がある。(略)本人なりの春夏秋冬を過ごして最後、冬を迎えた。種をいっぱいまいているので、それが芽吹くことでしょう。これは安倍元首相の奥さん昭恵さんの言葉。2人でいい言葉だねとずっと言っていた。彼女も冬を迎えた。彼女が残したものに私は気づけるだろうか。

 

 

形さえも無くなったら、名前を呼ぶ事さえきっと無くなる。毎日毎日ただいまを言っていたからもう口は名前の形になっている。暗闇や廊下の曲がり角、戸が空いている扉に向かって名前を呼べば出てくるんじゃないかと思う。いつかヌっと出てきて眠たそうな、目を細めて「なんだい」と言いたげな顔で身体を伸ばしてるのが目に映る。今だって横たわった姿から起き上がるんじゃないかと待っている。

 

 

 

 

言わないようにしていたが、姉が泣きながら さみしいと口にしたらさみしくてたまらない。1度だけ呼んでも返事もないのはさみしいと吐露したがそこからは思っても言わなかった。この胸空く思いが彼女の存在だとしたら私は一生胸空く思いでいたい。満たされたくない。